岡山・謎の郷土料理を復元
【岡山】江与味さわら茶漬け
秘伝/江与味さわら茶漬け、味の秘密 謎/江与味でなぜ「さわら」なのか 江与味は「えよみ」と読みます 出店情報/屋台で地元で、ぜひお会いしましょう リンク ホームページ

江与味ってどこだ?江与味ってなんだ?【江与味さわら茶漬け】

江与味(えよみ)は、岡山県久米郡美咲町にある地名です。

江与味の概要

国道429号線上の倉敷市と津山市の中間に位置し、岡山県道49号高梁旭線の終点で交わる位置に「江与味」はあります。

江与味原地区

岡山県ではほぼ中心位置ですが、久米郡美咲町では最も西の端で旭川の対岸に飛び地のように存在しています。北を真庭市(旧落合町)、南を加賀郡吉備中央町(旧加茂川町)に隣接し、真庭の文化と加茂川の文化になじみ深い面と、高瀬舟の通っていた旭川流域にある地域のため直接、岡山市内の食材を取り入れることができたロケーションでもありました。

旭川

かつて中鉄バスには終点が江与味になる路線がありました。「江与味行き」の看板をつけたバスが路線沿線を走り、時刻表にも「終点・江与味」などと記載されていましたので、どこにあるのか知らないけれども、「江与味」という地名を聴いたことがあるという人が結構います。

江与味の地図

7世紀後半から明治維新を経て1953年(昭和28年)の市町村合併までは、備前国に由来する御津地区に所属し、現に美咲町においても方言やイントネーションがやや異なる地区なのです。現在も「江与味橋(えよみばし)」という鉄橋(トラス橋)一本で江与味と美咲町の他の地区をつないでいます。

宮師/宮大工 井上社寺工業

江与味のくらし

主な産業は農林業です。林業は杉・檜とも植林地は手入れの行き届いており、檜の適地で安定的に良質の檜が出荷されています。また、祖母谷川、大山川などの澄んだ水と山間地の清い空気は、米作を中心とした農業に豊かな恵みをもたらしています。

また、住民は日々の生活に加え、運動会や夏祭りなどの独自の催しを自らの企画・運営で実施し、世代間交流を積極的に図っています。

  • 大山川ホタルまつり(毎年6月/大山川ホタルまつり実行委員会)
  • 江与味納涼まつり(毎年8月14日/江与味納涼まつり実行委員会)
  • 江与味八幡宮例大祭(毎年10月第2日曜日/江与味八幡宮奉賛会)
  • 三世代交流体育まつり(毎年10月体育の日/体育まつり実行委員会)
  • 救命訓練・防火パレード(美咲町消防団・江与味在団員)
  • ふれあい給食(高齢者世帯対象/江与味活性化委員会)
  • エヨミ 八幡宮

    えよみ 江与味八幡宮

    エヨミ 運動会

    消防操法訓練

    江与味のポテンシャルデータ

    【交通】 旭川さくらバス
    【国道】 国道429号
    【県道】 岡山県道49号高梁旭線(主要地方道)
         岡山県道66号落合加茂川線(主要地方道)
         岡山県道370号江与味上河内線(一般県道)
    【河川】 旭川(一級河川)、曽母谷川、大山川
    【神社】 八幡宮
    【管轄消防団】 美咲町消防団 第5分団のうち第3部、第4部
    【輩出有名人】
    多田恵一(探検家)
    明治16(1883)年1月30日 - 昭和34年(1959)年10月17日
    日本初の南極探検隊員として白瀬隊に参加、以後、ボルネオなど南洋の探検など行い、再び南極にも目を向け政府の支援もうけて探検隊を組織するが、太平洋戦争開戦により断念。戦後は雑誌『海南』の主宰者として活動。南極に対する思いは途切れることなく、昭和34年、76歳で死去するが、遺言において「遺骨を南極に埋めて欲しい」という意向に沿って、青山墓地の墓とは別に南極観測船に乗って南極の地に分骨してあるそうである。

    南極大陸に立つ―私の南極探検記

    江与味の歴史については、こちら>>

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    参考書籍


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