現在の久米郡美咲町江与味は、岡山県の行政所管上、美作県民局の区域になっています。しかしながら概ね戦前までは「御津郡」に属する江与味村という地方自治体でした。廃藩置県以前までさかのぼれば「備前國津高郡」に属していましたので、美咲町の大部分を占める「美作の國」とは「おとの様」が異なっていたということです。
このことは、現代社会において全く意識する事ではないように思いがちですが、例えば同じ美咲町内でも方言がやや異なりますので、小学校から中学校に進学して他地区の生徒と言葉が違っていた経験を思い出します。
次の写真は、国道429号の久米郡美咲町と加賀郡吉備中央町との境から江与味橋を撮影したものです。昔はこの旭川を国境として向う側(写真右側)の対岸が「美作國」、そしてこちら側が「備前國」でした。
江与味のある備前国津高郡は今でいえば、おおむね岡山市北区白石・久米・今保あたり、および同一宮・津高地域・上牧下牧・御津の旭川西岸一帯・建部の旭川西岸一帯・吉備中央町加茂川地域とされ、南北に長い区割りの最北端だったということです。
資料:備前国絵図(KM100/17)元禄のころ(1600年代後期)と推定
参照:岡山県立図書館
備前国、備中国、備後国に分割されて成立された7世紀後半から明治維新を経て1953年(昭和28年)の市町村合併までは、備前国に由来する御津地区に所属していました。
明治政府が施行した廃藩置県・1871年8月29日(明治4年7月14日)により備前國を廃し、岡山縣が置かれました。
「江山小学」開校、のちの「伊吹小学校」、「旭町立第五小学校」のルーツです。
町村制施行に伴い粟井谷村、江与味村、杉谷村が合併し、岡山縣津高郡江与味村。
津高郡が御野郡と合併し、御津郡となり岡山縣御津郡江与味村。
「江与味鉱山」閉山。稼動時期には、石見鉱山(株)、千原鉱業(株)、三井金属鉱業(株)が採掘作業を行っていました。1930年代の世界恐慌のあおりを受けたことが閉山の原因とされています。産出鉱物は、黄鉄鉱 FeS2、黄銅鉱 CuFeS2、磁硫鉄鉱 FeS1-x、閃亜鉛鉱 ZnS、方鉛鉱 PbS といわれています。なお、現在では安全のため坑道口は閉鎖しています。
江与味村の内、大字江与味が旭川対岸に町政を施行していた旭町(同年4月1日町政施行)に編入、岡山県久米郡旭町江与味となり、また、大字粟井谷、大字杉谷は新山村に編入され分割統合されました。
江与味診療所が開設されました。またこの年、倭文西・西川・江与味の森林組合が合併し、旭町森林組合が成立しました。
伊吹小学校から「旭町立第五小学校」に改称されました。同時に、江与味保育所が開設されました。
旭町立第五小学校を「江与味1280番地」に移転し新築、木造二階建ての校舎が完成し、江与味地区のシンボルであり続け、校舎は1992(平成4)年の閉校まで活用されました。
江与味八幡宮の社叢が旭町文化財に指定されました。江与味八幡宮にはさらに1992(平成4)年、津山振興局管内銘木百選に選ばれた「二本杉」ならびに「随神門の桧」(樹齢推定400年)、ムクロジ(推定250年)があり、移転当時に植えられたとされています。
「旭町立第五小学校」閉校(「江山小学」から通算して創立118周年、卒業生総数1,875名)。第一小学校以下5校を統合して「(現:美咲町立)旭小学校」を開校、江与味からはスクールバスによる通学となりました。
旭町立第五小学校の跡地に「江与味ふれあい会館」を設置、地区住民のコミュニティー施設として、自治集会、防災指導講習会、納涼まつり会場、三世代交流体育まつり会場などの公的行事のほか、スポーツ練習、集団芸能の稽古、自主勉強会などの利用に活用され、新しい江与味のシンボルとなっています。
平成の大合併により、旭町は中央町、柵原町と合併し美咲町となりました。よって現在は、岡山県久米郡美咲町江与味となっています。
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